【1973年】ひとりぼっちの部屋 高木麻早
~いつの世も若者は悩み、そして明日に向かう

あの一曲をトーク 1973年 秋 9月 高木麻早 師匠 アイ

目次
  1. 時間の置き方がいい「ひとりぼっちの部屋」
  2. 君も僕も同じ場所にいる若者「振りかえってごらん」
何が好きって、何も事件も起きない、恋愛感情として特別何も起きない。
昨日と明日のことだけ。そして今はソファーに寝ている。それだけ。
全ては聴取者のイマジネーションに委ねる。ここまで削ぎ落とした曲も珍しい。
50年以上前の曲なのに、なにか新しく聞こえるんだよね。

今日はさ、コップ酒。二級酒。常温。(笑)銘柄を気取って説明しない。
1973年は日本酒の消費量が最大だった頃。2級酒なんて言葉も懐かしくなりましたね。

木曜日のタマネギ - 楽曲検索:ひとりぼっちの部屋 高木麻早
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時間の置き方がいい「ひとりぼっちの部屋」


アイ
じゃじゃーん。
あれ、また店に誰もいないの?このパターンはね、師匠がネタ切れのときにやるのよ。
で、またカウンターにレコード。
高木麻早さんは、有名じゃないかもしれないけどさ、「フォーク界のアイドル」だったのよ。
師匠
おお、アイちゃん。
そこまでバレてりゃ僕が出てくるしかないな。
オリコン16位、18万枚近く売り上げてるから有名じゃないってわけでもないけどさ、たしかにこの1曲がスマッシュという印象はあるな。
でもさ、この曲、すごくいいと思わない?

ひとりぼっちの部屋
高木麻早
1973/9/10 (4:37) 261127257

発売:1973年9月
「ひとりぼっちの部屋」高木麻早
作詞:高木麻早
作曲:高木麻早
編曲:萩田光雄
アイ
これは「何も起きないこと」が、ちゃんと歌になってるんだよ。
特に面白いのが、時間の置き方だと思う。
「ギターのつまびき それは昨日 甘いささやき それは明日」
昨日には「ギターのつまびき」があった。そして明日には「甘いささやき」があるらしい。つまり、この恋が終わったわけでも、始まる前でもない。昨日も会っていたし、たぶん明日も会う。なのに今日は一人。
2番もまったく同じで、
「おやすみなさい それは昨日 いつもの駅で それは明日」
「いつもの駅」っていうくらいだから、二人には日常があるんだよね。明日になればまた会えるんだろう。
だから、この歌の「ひとりぼっち」は失恋の孤独じゃない。
師匠
好きな人がいるからこそ、一人でいる時間にその人の不在を感じる。
たぶんそれだけなんだ。
しかも「泣く」「寂しい」「会いたい」すら言わない。ただ、
「今ひとり時計ながめている」これだけ。
これ、すごく映像的なんだよな。
アイ
1973年当時だと、若い世代が部屋に電話があるわけではないし、もちろんスマホじゃない。
ソファーに横になって時計を見る。そして相手を想う。
聴き手によって、「明日会えるのが待ち遠しい女の子」にもなるし、「本当は明日会えるかどうかわからない人」にもなる。昨日の「おやすみなさい」が電話だったのか、別れ際だったのかさえ書かれていない。
師匠
1970年代の歌という情報を取り払うと、時代を特定する物がほとんどない。
ギター、部屋、ソファー、時計、駅。全部2026年にも存在する。そして人間が「好きな人を思いながら一人でぼんやりしている時間」も、50年前と何も変わらない。
さらに詞の構造そのものがものすごくミニマルなんだよね。
「今」→「昨日」→「明日」→「今」
と時間を一周して、結局、
「今ひとり想う あなたのこと」
へ戻ってくる。
ドラマを進めないんじゃなくて、そもそもドラマが進まない時間そのものを歌っているんだな。
アイ
希望を持てるようなアップテンポにも聞こえるし、でも、少し悲しさも感じる。
この時代の曲って、オケがすごく豪華なのよ。
詞はこれだけ削ぎ落としているのに、レコードそのものは貧相じゃない。むしろ演奏やアレンジが「何も起こらない部屋」の空間を埋めてくれる。
歌詞が説明しないぶん、ギターやストリングス、リズムの一つ一つが情景になる。1970年代のスタジオミュージシャンの演奏って、こういうところで猛烈に効くの。
歌詞=余白
歌声=主人公
オケ=部屋の空気
みたいな作りになってる。
50年以上も前の曲とは思えない輝きがあるの。
師匠
それとさ、1973年頃って、歌謡曲ならテレビで顔と歌をセットにして全国へ届ける力がどんどん強くなっていく一方で、フォークには別の回路がある。
深夜放送、ラジオ、レコード、コンサート、そして学校での口コミ。「昨日ラジオでこんな曲聴いた」「あのレコード買った?」という、かなり若者同士の横方向の伝播なんだよね。
テレビの前で家族みんなで見る歌じゃなくて、自分の部屋でラジオを聴いている若者に、「今ひとり部屋の隅にいて」と歌いかけてくる。
これは強いよなあ。

君も僕も同じ場所にいる若者「振りかえってごらん」


師匠
B面、こちらも歌詞は短め。でもさ、1970年代はじめの石油ショックだったり、アメリカとの為替が変動になったり、テロや捨て子とか混沌とした時代というのがある。
当時の若者が少し不安だったとも思うんだよ。そういう時代に響いた曲。
アイ
そうね。タイトルがいい。「前を向いて」じゃなくて**「振りかえってごらん」**。
普通、未来への応援歌なら「振り返るな」「前へ進め」と言いそうなところを、この歌は逆を言う。
「君 今行くの道が いつか見えなくなったとき」
道が見えなくなることを最初から否定していない。「頑張れば大丈夫」とも言わない。迷うことはあるよ。そのときは振り返ってみればいいという歌なんだよね。

振り返ってごらん
高木麻早
1973/9/10 (3:24) 261127257

「振りかえってごらん」高木麻早
作詞:高木麻早
作曲:高木麻早
編曲:萩田光雄
師匠
出生数が200万人以上いるベビーブームの頃。僕もその一員だ。
自分の親の世代が若い頃、どういう社会だったんだろう?とは思うんだよね。
高度成長が永遠に続くように見えた時代が曲がり角を迎えて、固定相場制から変動相場制への移行、そして秋には第一次石油危機。社会や経済の「明日は今日より豊かになる」という前提が揺れ始めた頃だった。
アイ
高木麻早さんが、それを直接歌ったわけではないと思うんだけど、でも、歌っているのが、
「明日を信じて」なのが大事だと思うの。
明日が約束されているから信じるんじゃない。見えなくなるかもしれない明日だから、信じようとしている。
そこに時代の空気を感じる。
この歌には「僕」と「君」がいること。
「僕 今歌うこの歌が いつかきけなくなったとき」
これ、かなり優しい表現だよね。「僕がいなくなったとき」とまで言わない。「この歌がきけなくなったとき」とする。
師匠
「君と僕が手をとって いつか歩いてゆけるとき」
つまりこの歌、強い誰かが弱い「君」を導いてくれる歌じゃない。
君も僕も同じ場所にいる若者で、二人とも先のことなんかわからない。それでも手を取って歩けたらいいねという距離感。
ここが当時のフォークらしいと思うんだ。
政治的なメッセージを大声で叫ぶわけでもない。社会問題を具体的に並べるわけでもない。でも、その社会で暮らしている若者が感じていた漠然とした不安や、「これからどうなるんだろう」という感覚を、ものすごく小さな言葉にしている。
アイ
革命もしないし、人生を変えるような愛の告白もしない。
部屋で人を想ったり、道に迷ったら振り返ったり、小指を絡ませたりするだけ。
1973年を生きていた普通の学生のサイズなんでしょうね。
しかも最後に、
「振りかえってごらん 明日を信じて」
って、一見すると矛盾した方向を向いた二つの言葉を並べる。
明日を信じるために、昨日を振り返ってもいい。
師匠
この曲たちは50年以上経った今でも古びない。
むしろ「前だけ向け」「立ち止まるな」みたいな言葉を散々聞かされてきた世代には、今のほうが沁みるかもしれない。
A面が「何も起きない現在」を肯定する歌なら、B面は「迷ってしまう未来」を肯定する歌。
このシングル、今の若者にこそ刺さるのかもしれないよ。


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